つらさを受けとめるということ④

子どもの声なき声を聴きとる他者

 「子どもの苦しさを受けとめるだけで良いのでしょうか?」
 「そんなことをしていたら、ますます子どもは学校に行かなくなるのではないでしょうか?」
 そうした声を聞くことがあります。親や教師にしてみれば、ある意味当然の思いかもしれません。解決を求める大人と今を精一杯生きている子どもとの間に生まれるすれ違いです。

 大人が、不登校の子どものつらさを受けとめることは、子どもにとってはどのような意味があるのでしょうか。
 不登校をしている子どもたちの中には、自分の苦しみを抱えきれずに「身体症状」や「問題行動?」として吐き出す場合が多いです。「こんな自分ではダメだ」「学校に行って頑張っていた前の自分に戻らないと…」と自分自身を責めながら、絶望感に押しつぶされそうな子どもたちです。また、自分を責めるのではなくて「こんな自分にしたのはお前たちだ。」と、親を責める子どももいます。夜中に「コンビニで漫画を買っって来い」と無理難題をいう子どももいます。
 しかし、それらは裏を返すと「不登校をしている自分」を否定しながらも、どこかにわかってくれる相手(他者)の存在を求めている行動でもあります。苦しいながらも今を精一杯生きていることをわかってくれる人を求めている行動でもあります。
 そうした子どもは、苦しみを共有し共に歩んでくれる人の「本気の応答」が得られると、自分を見つめることができます。周りの大人(社会)が認めないために、自らも否定してきた「不登校をする自分」を認めながら、これからどうしたいのかを考えようとし始めます。
 アキ(仮名)は、小学2年生の時にいじめをきっかけにして不登校を始めました。ランドセルをひっくり返すという「問題行動」によって、母親を含めて周りの大人は学校に行かないことを認めてくれました。それからの5年間の不登校生活は、それまでに比べて比較的安心感のあるものでした。
 やがて、思春期を迎えるアキ。母親からの心理的自立を始めるアキは、母親以外の共感的他者が必要となってきたようです。通常は友だちですが、学校に行っていないアキには、そんな友だちはいません。そこで、スクールカウンセラーの相談室のドアをたたくことにします。
 アキの何気ない話を受けとめ、反応を返してくれるカウンセラーとのやり取りの中で、アキはどうしたいのかを考え始めます。考えることも学ぶこともやめてきた自分、傷つけられそうだったから誰かと親密な関係を結ぶことを辞めてきた自分、未来を考えることにフタをしてきた自分‥‥。それらは、これまでは自分を守るために必要でしたが、今のアキには少し違う。それまでの自分と別れを告げて、誰かと関係が結べる世界に足をつけることにしました。
 高校3年生になったアキは、不登校シンポジウムのシンポジストとして参加します。「いつまで待てば良いのですか?」の質問に「永久に待ってほしい」と答えました。それは、共感的他者(母親やスクールカウンセラー)の「本気の応答」によって、自分自身を見つめ変えてきた実感から出てきた言葉です。