子どもの立場に立つ不登校支援⑦

居場所であって居場所でない

不登校を始めると、様々な所に居場所を求める子どもたちがいる。
居場所を見つけた子どもは、傷ついた心を癒し、エネルギーを貯めて、自らの道を歩み始める。
しかし、一方で、教室以外の所を居場所としても、元気が持てない子どもたちもいる。
そこには、どんな違いがあるのだろうか。

 中学2年生のエリ(仮名)にいじめがあったのかどうかははっきりしない。さみだれ登校をした後に、全く学校に行く事ができなくなった。しばらく自宅にいたが、母親が「保健室に行ってみる?」と尋ねたところ、エリは黙っていた。「黙っていてはわからんよ。どうしたい?」と重ねて尋ねると「わからない」と答えた。母親に連れられ、エリは何日か保健室登校をしたが、続けることができなくなった。やがて、身体症状が出始め、今では自宅を居場所としている。
 エリは保健室に行こうとしたが、それはエリが必要としたのではない。どこにも行こうとしないエリを見て、親が不安となり、親自身が安心するためにエリを保健室に行かせようとしたのである。エリの「わからない」という言葉を「嫌とは言っていない」ととらえるか、「行きたい、行ってみたいとは言っていない」ととらえるかは大きなちがいがある。そこにエリが行かされている(強制)のか、エリが選んでいる(尊重)のかのちがいが…。子どもの意志が伴った時に、その空間が子どもの居場所となりえると言えよう。

 また、中学3年のユカ(仮名)は、不登校となってすぐに教育支援センター(適応指導教室)に通い始めた。しかし、10分ほど居ては車でそのまま帰宅する。母親の話では、「教育支援センターに行くと出席日数としてカウントされる」からである。受験を控えたユカは、表情から辛そうに見えたが、母親に連れられて、教育支援センターに毎日通った。
 ユカは、高校受験のために(出席日数を増やすために)教育支援センターに通った。ユカ自身が自分のために選んだように見えるが、そうではない事はユカの表情が示している。母親が説得をしたというよりも、「中学校を不登校で過ごすと、高校にも行けない。高校にもいけないと、社会に出る事ができない。」といった社会的な圧力が、受験生に対して教育支援センターに行く事を強制したのである。居場所とは「将来のために必要だから、苦しいけど行く所」ではなく、「今を輝くために必要な(行きたい)所」でなくてはならない。