2015年5月

子どもの立場に立つ不登校支援③

子どもから見える学校という世界

 不登校をする子どもの中には、理由やきっかけがはっきりとしない場合も少なくない。いじめられているわけでもなく、友人関係のトラブルがあるわけでもなく、担任との相性が特別に悪いわけでもなく…。子どもの息苦しさがどこにあるのか、わからないケースが見られる。

 ヤスシは小学校の時は集団への適応で困難な面があり、トラブルをきっかけにパニックを起こすことがあったが、登校は毎日していた。算数が得意なヤスシは、高学年になって授業をリードするような存在になり、クラスのみんなもヤスシのことを認めるようになった。授業態度も活発で、休み時間も(限られているが)仲良しの友だちと一緒に遊んでいた。

 中学2年になると、2学期から不登校を始めた。ヤスシは文字を書くことがとても苦手な子どもであった。授業中の教師の話や友だちの意見などは、よく理解できる。教科書を読むのもそれほど苦痛ではない。しかし、ノートに書こうとすると文字を正確に書けなかった。隣の友だちを見るとスラスラと書いている。隣だけでなくて、クラスのほとんどの人が苦労せずに書けているように思えた。ヤスシの心の中に「どうしてぼくだけ…」という不安が膨らんだと予想される。

 定期テストの時も、数学や理科などは良い点数をとったが、国語や英語は思うように伸びなかった。英語は、勉強をしようとすると「吐きそうになる」と訴えた。母親は「本人のやる気が足りないんです。苦手だからって勉強しようとしないから…。勉強なんてできなくても良いです。友だちと楽しく遊んで、毎日学校に行ってくれれば…。」と言っていたが、ヤスシは一人で苦しんだ。

 思春期を迎えたヤスシは、苦しさを感じても、小学校の時のように誰かに伝えるのではなくて、また、パニックを起こすことで表現するのではなくて、自分の中に抑圧し続けたのではないかと思われる。周りの友だちがほとんどできていることが、自分にはできない。そうしたことは恥ずかしいことで、誰かに相談することではないと強く思うようになってしまったのではないか。中学校では、文字を書く機会が格段に増え、そのたびにヤスシはできない自分と向き合わなくてはならなくなったのであろう。

 ヤスシは、「書くことに大変さをもつ」発達障がいがあると思われる。発達障がいのある子どもは、学校生活では常に苦手な世界に苦しむ自分と向きあわされ、ヤスシのように疲れ果ててしまうことが少なくない。また、「できる、できない」の二分法的思考が強い傾向を持つ子どもの場合は、少しでもうまくいかないことがあると、「できない」自分を強く感じ自尊感情をますます低下させていくこととなる。思春期を迎えると、心理的に大人から距離を置こうとするが、それが悩みやつらさを身近な親に相談することを邪魔してしまい、一人で抱え込んでしまうことになる。特に、みんなができて自分だけができないことなどは、誰かに相談をすることではなくて自分がしっかりしないといけないと考えてしまう。「努力」や「やる気」の問題ではなく「できないことがあたりまえ」であっても、親を含めて周囲の理解を得られないと、子どもは自分を責め続け、学校から距離をとる(不登校をする)ことが必要となってくるのである。

 そうした時に、大切なことは登校を働きかけることではない。子どものつらさをしっかりと受け止め、安心して登校できる環境を整えることである。また、安心して生活できるようにすることである。そして、必要以上に自分を追い詰めないように、生きづらさの理由を正しく伝え、方法を一緒に考えることである。

 ヤスシは、その後、スクールカウンセラーと面談をするようになった。そこでは、学校のことというよりも、ヤスシは好きなアニメのことをたくさん話した。これまで出会った大人とは違い、そのスクールカウンセラーは、真剣にアニメの話を、時間が許す限りいつまでも聴いてくれた。ヤスシが、テストの時にパニックになることを話した時に、スクールカウンセラーはその苦しさを受けとめてくれた。そのことがヤスシは嬉しかったと言う。

 ヤスシは、今大学に通っている。「ぼくは、不安になった時に、『不安になって当たり前』『今は、がんばれないで当たり前』と自分で自分に言えるようになった。それが大きい。それは、中学校で不登校をした時に、あのスクールカウンセラーの先生と話をしながら、見つけた方法。」と笑顔で話してくれた。

子どもの立場に立つ不登校支援②

不安や苦しさを受けとめることから

 仮に、子どもが不登校になった原因やきっかけを見つけて解決しても、すぐには登校できるわけではない。それは、不登校になる前と後では、子どもの状態が大きく変化をしているからである。学校に行かない(行けない)つらさを、周りの大人に受け止めてもらえないことで、子どもたちは心のエネルギーが枯渇しているのである。

 子どもたちは「ぼくがぼくであってはいけない。」「みんなと同じようにならないといけない(みんなと同じように学校に行かないと…)」「今の私のままではダメだ。」「学校に行くことができない私に将来はあるのか。」「このまま消えてしまいたい。」と自分を追い詰めながら、毎日を過ごしていく。自分が「どうしたいのか」という主体性は小さく萎み、「どうしなくてはならないか」ばかりを考えて毎日を生活するようになる。

 こうした時に、親や教師がどうすれば学校に行くようになるかを考えて、なんらかの支援をすることは、かえって子どもを追い詰めることにつながる。親や教師からすると、1日でも学校に行くのが遅れると、それだけ教室に入りづらくなるように思えるが、子どもの方はそれどころではない。学校に行けない自分を責めると同時に、その苦しい気持ちを誰にもわかってもらえない「孤独感」という二重の苦しさに追い詰められている。そうした時に大切なことは、子どもの苦しくつらい思いを受け止め、学校を休んでいることを受け入れることである。

 その際に、親や教師が理解をしておかなくてはならないことは「簡単に不登校をしている子どもはいない」ということである。中学生の時にいじめを受けて不登校をした青年は、当時を次のように振り返る…

気づけば、私はクラスの子たちから完全に孤立していた。最初は悪いのは私なのだから仕方ない、自業自得だと思っていた。しかし、日がたつにつれ、その状況は悪化していき、誰からも相手にされない、目があってもそらされる。近づいていくとあからさまに避けられる…ここまで来ると、さすがの私も自分の存在自体を拒否されているようで締めつけられるような思いになった。そして、教室の後ろの方に目をやると、そこにはそんな私を見てうれしそうに顔を見合わせる主犯格の人たちがいた。(中略)

 それでも、学校には毎日通っていた。親に言っても、何の解決にもならないし、心配をかけてはいけないと思ったからである。しかし、もう限界だった。どんなに待っても孤独な毎日は続き、誰にも声をかけれず、誰からも相手にされず、私にはどうしていいのか全くわからなかった。それでも、親には言えなかった。やっとの思いで出た言葉が「今日は、お腹が痛いし、休もうかな…。」だった。これが、私の勇気の全てだった。(後略)

 このように、不登校をする子どもたちの多くは、苦しさの限界に来た時に、初めて「学校を休みたい」という言葉または態度を発する。それは、自らの存在をかけたメッセージであることも珍しくはない。否定をされたら生きていけないほどの重さをもった言葉(行動)である。

 したがって、腹痛や頭痛を訴えながら「休みたい」という言葉や行動を見せる子どもにかける言葉は、「どうして行きたくないの?」という(責める眼差しの)原因探しの言葉ではなくて、「休みたくなるほど嫌な事やつらい事があるんじゃないの?」という子どもの生きづらさを受けとめる言葉でなくてはならない。

第1回 明日が見える「教師塾」

■日時:2015年8月2日(日)

■場所:大分市稙田市民行政センター 会議室2(2階)
〒870-1155  大分市大字玉沢743番地の2(トキハ稙田タウン横)

■プログラム(予定)
9:45~10:00  (受付)オリエンテーション
10:00~11:30  セミナーⅠ 「問題?行動」の意味を読み解く
11:30~12:30  昼食・休憩
12:30~14:00  セミナーⅡ 「授業がうまくいく方法」
14:15~16:00  セミナーⅢ 「困っていることQ&A」

■定員 10名(定員になりしだい締め切らせていただきます)
■参加費 7000円 (資料代含む)
■申し込み方法 メール又はFAXでお申し込み下さい。詳細は、チラシをご参照ください。
<主催> 教育・不登校研究所「明日が見える」  <後援> 大分県教職員組合

教師塾チラシ1教師塾チラシ2

お問合わせ:
電話:080-2717-9392(加嶋携帯)
Mail:ashita@fumiya-kashima.net
フォームでのお問い合わせはこちら>>