つらさを受けとめるということ➀

マニュアルを乗り越える

 斎藤環さんという「ひきこもり」に関してはかなり有名な精神科医がいます。その方は「ひきこもり救出マニュアル」(PHP研究所)という本の中で、「ひきこもり」の対応のあり方を細かく詳しく書いています。読みながら「なるほどなあ。でも…?」と思っていました。親の会で話を聴いてきたことと、専門家の言うことには隔たりがあるのです。言葉に上手く言い表せませんが…。ただ、斎藤さんは興味深いことをこの本の中で書いています。

 いろいろな親御さんの対応ぶりをうかがっていると、時には私の考えとはまったく異なった考え方で対応して、成功している話も聞きます。私はそういう話を聞くたびに、最終的にひきこもりの立ち直りを促進するのは、親子関係のリアリティではないかと思うのです。
 たとえば、私は子どものスキンシップを禁じて、退行させないようにしましょう、と勧めています。しかし、時にはスキンシップを通じて立ち直りを成功させたという事例も聞きます。
 これは矛盾ではなく、その親御さんにとっては、そうすることが一番リアルな対応だったということになります。切迫した必然性のもとで選択された、まさに「本気」の対応は、しばしば小手先のマニュアルを超えています。(中略)
 私の本(「ひきこもり」救出マニュアル)は、こうした「本気」のリアリティに至れずに、親を演じつづけるほかはない方々のための演技指導書でもあります。
  (「ひきこもり救出マニュアル」PHP研究所より引用)

 斎藤さんの言う「本気」の対応とは、不登校やひきこもりで苦しむわが子を見ていて、そうせざるを得ない親の対応だと思います。マニュアルに頼っていると、子どもの不登校や「ひきこもり」を治そうとする意識が強くなりすぎる時があります。その結果、「良い親」「良い教師」を演じてしまうことになります。そうした時は、支援が子どもに安心感を与えるとは限らないのです。そして、子どもの変化が見えないと、「良い親」「良い教師」を演じつづけることが難しくなります。

 例えば、「学校を休んでも良いよ。」という言葉をかけることにしてもそうです。子どもの不登校を専門家に相談した結果、「学校を休ませて下さい。」という助言を受けることがあります。専門家の言葉であるから、行き渋りを見せた時に「学校を休んでも良いよ。」と親は言葉をかけます。教師であれば、「無理をしなくても良いよ。」と子どもに言葉をかけます。しかし、不登校を治す?ためにかけた言葉は、一般化されたマニュアルから発せられており、その言葉は子どもの心に届くとは限りません。

 なぜならば、「学校を休んでも良いよ。」「無理をしなくても良いよ。」は、理屈から生まれた言葉で、そこに実感がうすいからです。斎藤さんが言う「リアリティ」に至っていないからです。子どもが学校を休むことで、ますますだらだらした生活をすると、周りの大人は気持ちが揺らぎ、「学校を休んでも良いよ。」「無理をしなくても良いよ。」の言葉をかけることができなくなることさえあります。