つらさを受けとめるということ②

考えることにエネルギーを使う

 子どもが、学校に行くかどうかを迷って苦しそうにしているからと言って、保護者が「そんなに苦しいのなら、学校を休んだら…。」と言っても、子どもが楽になるとは限りません。(勿論、子どもの気持ちを無視して、無理やりに学校に行かせるのはもっといけないことですが…)

 大切なことは、子どもと苦しみを共有し、共に悩む関係があるかどうかです。例えば、子どもがベッドで返事もせずに横になって苦しそうにしているとします。その子の背中をさすりながら、しばらく傍にいます。そのうちに、子どものつらさが手を通じて感じられてきます。カーテンの閉められた薄暗い部屋で、朝から「どうしよう。行かないと…でも、行くことができそうにない…。」と苦しんできた子どものつらさが見えてきます。
 そうすると、保護者の方も「学校に行った方が良いのか。行かない方が良いのか」考えます。決まりきった答えなどありません。正解などないのです。そして、真剣に悩んで「今日は休んで、ゆっくりしたらどうだ。」と声をかけます。それ以外の言葉はでてきません。親も揺れて、自分の気持ちと向き合ってかけた言葉に、子どもは少し安心をします。学校に行かないことに目が向いているのではなくて、子どもの苦しさに目が向いていると子どもは少し自分を出すことができます。

 子どもが不登校を始めたからといって、「病院に行かせよう」「カウンセリングを」「薬を飲みなさい」…と早期に対処することが強調されていますが、子どもはそんなことを求めているとは限りません。子どもは「自分と向き合い、自分の心の傍にいてくれる」ことを望んでいます。苦しみを手っ取り早く処理するのではなく、苦しみを表現することにじっと耳を傾けてくれるのを求めています。安心して親に「弱音を吐く」関係を求めているのです。