2017年5月1日

不登校をどう理解するか➂

学校・社会との関係で捉える

不登校の原因を子どもの性格や親の子育て等、個人の問題と考えることに対して、不登校は社会の問題と捉えている方々もいます。その一人が、「登校拒否・不登校問題全国連絡会議」代表世話人の高垣忠一郎さんです。高垣さんは、日本の社会が変化していく中で学校が高速道路のようになった。不登校は、その警鐘であると捉えています。

■不登校の歴史

 昔の子どもたちが学校に行かない状態を表す言葉は「怠け休み」でした。1950年代後半から、家の事情や怠学以外で休む子どもが出てきました。「学校恐怖症」(大きな不安を伴い学校に行けない症状)という名称が用いられるようになりました。
 当時の不登校は病気として見られ、治療するものだったのです。その原因としてでてきたのが「分離不安説」です。それは、家族のあり方や子どもの性格に問題があるという考え方です。
 1960年代の高度経済成長期に入り、学校は子どもの「人格の完成」よりも社会に役立つ人材を育成する方向に変わっていきました。 1970年代になってオイルショックを境に受験競争が激しくなり、家でも「家の手伝いよりも勉強をしなさい」という親が増えました。
 1960年以降、不登校の子どもの数も激増します。学校が子どもの成長や発達に合わなくなったのだと考えられます。
 不登校の子どもが増えることで、原因を家族のあり方や子どもの性格で説明をすることができなくなり、とうとう文部省(当時)は「不登校はどの子にも起こりうる」(1992年報告)と認識を変えました。

■学校は高速道路?

 高垣忠一郎さん(元立命館大学院教授)は、
「学校が高速道路のようになっていった。自分のスピードで走ることが許されず、止まることも許されない。常に周りに合わせて走り続けなくてはいけない。自分が自分であっては行けない所になっていった。不登校は、そうした学校生活に疲れ切ってパーキングエリアに入り、自分の心を守る行動。」という説明しています。
 子どもはパーキングエリアに入り、これからの進む道を考えているのかもしれません。心を癒し、もう一度高速道路を走るのか、それとも次のインターチェンジで高速道路を降りて、風景を楽しみながら自分のペースで走れる道を走るのかを考えているのでしょう。目的地そのものを問い直し、走る道を探しているのでしょう。
 不登校を社会や学校との関わりで見ていくと、今日の不登校支援の問題が浮き彫りになります。「学力向上」が重視され、子どもだけでなく教師自身が生き生きしていない学校…。その学校のあり方を変えないかぎり、不登校の子どもの人数が減少することは難しいと言えます。