子どもの立場に立つ不登校支援(最終)

自己決定は子どもと親の共同作業

 アカネは中学2年生になると、クラスの数人から嫌がらせを受けるようになって、学校に行きづらくなった。「もし、あの時(小学5年生)みたいに学校に行けなくなったらどうしよう」「中学校で不登校になると高校にも行くことができなくなるかもしれない」とアカネは不安に襲われた。「明日は、学校に行こう」と思い準備をする。しかし、次の日の朝は、体が重くて動けなかった。登校できた日は、「なんで、昨日休んだん?」とクラスメイトに聞かれるのが怖くて、教室に入るのに勇気がいったと言う。

 2学期が始まると、ほとんど登校できなくなった。登校できなくなったアカネに両親は何も言わなかったらしい。「小中学校は義務教育だから、学校に行かなくてはいけない義務がある。その義務をはたしていない私は、ダメな人間だ」と思い込んでいるアカネに、父親は「子どもが学びたいと思ったら、それを保障する義務が大人や社会にある。子どもには学校に行かなくてはいけない義務なんてない。学校に行くのは権利なんだよ。だから、逆に学校を休む権利もある」と教えた。

 運動会が終わった後、両親は「アカネが楽しみにしているのは部活でしょ。あなたが望むのなら、部活だけ行けるように先生にお願いしようか」と話をした。「教室に行っていない自分が部活だけをするのは…」とうしろめたい気がしたが、部活動には参加したいという思いが強く、放課後になると母親の車で登校した。学校長も「子どもには一人ひとり成長の仕方に違いがある。その子その子に応じた指導をしていきましょう」と全職員に話をし、担任と部活動の顧問の協力もあり放課後の部活動にだけ参加をすることが認められた。

 しかし、部活動の始まる時刻は日によってまちまちである。タイミングを逃すことが数日続くと、アカネは「保健室登校をする」と言い始めた。同じ部のA子が「保健室まで誘いに行ってあげる」と言ってくれたのがきっかけである。「A子って優しいよ。毎日私を誘ってくれた。忘れることは絶対になかった。用事がある時は、保健室まで来て『今日は、私は用事があるからBちゃんが誘いに来るけえ』ってわざわざ言いに来るんよ。そんな人はおらん…。」しばらくすると、アカネと同じお笑いの好きなC子も誘いに来てくれるようになった。

 3学期のほとんどを保健室で過ごしたアカネは、部活動には毎日参加した。そのうち「みんなは教室で勉強している。私だけ、保健室で何もしないのは悪い」という思いが膨らみ、少し早めに保健室登校をして勉強も始めた。保健室にいる時間が長くなると、友だちが遊びに来てくれた。すると、友だちとの時間が楽しくなり、もう少し早い時間に保健室登校をするようになった。いつの間にか、アカネの保健室登校をする時間は朝の学活の時刻になっていった。朝の玄関に入る時は、「誰かに会うと嫌だなあ」ととても緊張したが、放課後の部活動のために勇気を出した。

 アカネの経験から、自己決定の大切なことがいくつか見えてくる。
 一つ目は、子どもが「自分で決めたことを否定されない」という大人への信頼と「不登校の私を大人は見捨てない」という安心感が必要である。その安心感こそが、「~しなくてはならない・~してはならない」と言う縛りから本人を解放し、「~したい・~したくない」という本人の要求が生まれるのに必要なことである。
 二つ目は、大人が変えたい方向にコントロールするのではなくて、本人が変わりたい方向が見えてきたらそれをサポートすることである。そのサポートに「何もしない」ということが含まれているのは言うまでも無い。
 三つ目は、本人を支えるのは大人であるとは限らない。一緒にいて安心できる友だちは、本人にとって大きな力となる。また、好きなアーティストの歌詞であったり、一緒に過ごしているペットでもある。
 自己決定は、不登校の子ども本人がすることではあるが、周りへの信頼があってこそ初めてできることであろう。そうした意味で、自己決定は、本人と親を含めた周りとの共同作業であると言うことができる。