2017年4月8日

子どもの立場に立つ不登校支援⑨

「待つ」ということ

 一般に「待つ」ということは「何もしないで見守る」ことであるが、待たれている子どもが安心感を持てている時とそうでない時がある。その分かれ道はどこにあるのだろうか。

 不登校の子どもは、みんなと同じように学校に行けない自分を責めていることが多い。どうにかしようと思うがどうにもならないで苦しんでいるのである。そうした時のこどもは「そっとしておいてほしい」という気持ちと「放っておかれると淋しい」という気持ちが混在する。相反して複雑に見えるこの気持ちは、「そっと見守ってほしい」「干渉しないでほしい」…でも、「見捨てないでほしい」「自分で考えていることを信じてほしい」と願っているのである。そうした子どもの気持ちを理解していくことが「待つ」ということだと思う。

 「このまま何もしないで社会に出ることができなくなるのではないか」と状態だけに目が向いて、子どもを否定的に見るのではなくて、「本人にとって閉じこもっていることは大切(必要)なことなのかもしれない」「この子は一日々々を一生懸命に生きている」と子どもを「命の存在」として見ることである。

 しかし、言葉で言うほど「待つ」ことは親にとって簡単ではない。

 かつて不登校をしていた子どもの親と電話で話していて気づくことがあった。久しぶりに話をする星の会の数十名の会員さんのほとんどが、「今は自立して働いています。一番苦しい時に星の会(不登校を考える親の会)に出会えて良かったです。」と言う。「子どもが不登校やひきこもりから動き始めるのに、何が大切だと思いますか。」と尋ねると、しばらく考えて返ってくる答はみなほぼ同じである。

 「結局、子ども自身がその気にならないとどうにもなりません。親があわてていろいろしている間は、子どもは動きませんでした。『仕方がない』と親が腹をくくると、不思議と子どもはその気になるみたいです。」という答である。「待つ」ことが手段ではなくて、苦しみぬいた末に見えてきた親の愛情(結果)なのである。

 ところが、この腹をくくるというのがむずかしい…。自分の思い通りにならない子どもに対して、かけがえのない存在として愛することができるかどうかが求められるからである。 多くの親は、不登校やひきこもりをする子どもに接して、うろたえ、悩むことをくり返す。いろいろやってみるけど、思い通りに子どもはなってはくれない。それどころか、いろいろすればするほど、子どもは元気をなくしていく場合もある。「子どものため」と思ってしてきたことが、子どもを追いつめていることを実感し、それは実は「自分のため」にしていることに気づかされる。

 「今のこの子は、学校に行かないこと以外は普通です。学校に行かせようとするとおかしくなる。今のこの子に学校は必要なんでしょうか。」
 「親の思いばかりを押しつけていました。子どもは自分なりに頑張っていたんですね。」
 「もう、しゃ~ないなと思うようにしました。そしたら私も楽になり、娘も笑うようになったんです。」
 「息子は、こうした時間を過ごしながらでないと、自分の本当の気持ちが見えてこないのかもしれませんね。」
 星の会の例会で、会員さんが口にした言葉である。「思い通りにならないけれど…」ではなくて、「思い通りにならないから…」こそ、自分なりに一生懸命に生きているわが子の姿が見えるのではないだろうか。その親たちのつぶやきに、自分のこれまでの価値観・人生観を揺らしながら、子どもの命そのものへの愛情を確かなものにしている深さが感じられる。

 「待つ」とは、ある意味では、これまでの自分の人生観を否定しなくてはならないことなのかもしれない。

子どもの立場に立つ不登校支援⑧

子どもが求めている居場所とは

 ユミコは、小学生の時にいじめをうけ、不登校になった。ユミコの母親は、最初はなんとか学校に行かせようとしたが、苦しむユミコを見て「このまま学校に行かせることは、ユミコのためにはならない。」と考え、無理に学校に行かせることをやめた。そして、自宅をユミコの「居場所」とするようにし、いっしょにひたすら漫画を読んだ。ユミコのもとに一人の友だちが遊びに行くようになった。その子は、クラスであまり居場所がないおとなしい子どもである。ユミコといると、その子もホッとするらしい。

 そのうちに、小学1年生で不登校となったカズミがいっしょに過ごすようになった。また、小学6年生の不登校のミチルが通うようになった。放課後になると、いじめは受けていないが、なんだか一人ぼっちになることが多い子どもも通うようになった。人数が集まっても、その居場所(自宅)では、ひたすら漫画を読んだ。

 誰かがつぶやく。「暇やなあ。何かする?」「温泉に行きたい」「じゃあ、町の銭湯めぐりをしよう。」というぐあいに話がまとまると、子どもたちは自転車を飛ばした。やりたいことがみつかるとみんなで行動し、それが終わると、また漫画…。漫画を読みながら、「劇団」「キャンプ」「基地作り」「自分たちの運動会」…と子どもたちの活動は多岐に及んだ。

 ユミコの経験から居場所に必要なことが二つ読み取れる。

 一つは、何もしないで良いことである。
 不登校の子どもたちの中には、「何もしないことをしたい。」と言う子どもが少なくない。その言葉には様々な思いが込められていると思うが、そこには「学校に帰すような下心を持たないでほしい。学校に行く時は自分で決めるから。」という思いがある。ユミコの母親は、「この子をどうにかしよう」ということに自分自身も疲れ、純粋にユミコとの時間を楽しんだ。子どもの将来を心配するよりも、今のユミコとの時間を大切にしようと考えた。そのために、学校へ復帰するためのことではなく、ユミコが好きな漫画を一緒に読んだ。一緒にいる母親の心が楽になると、ユミコの心も楽になった。「何もしないでもここ(家)にいて良いんだ」と思えるようになった。

 二つ目は、友だちの存在である。その友だちは、学校に復帰をさせるための友だちではない。「かわいそうな?ユミコのためになんとかしてあげたい」という優しくしてあげる側にいる友だちでもない。学校に行っていても不登校をしていても、一緒に喜び、一緒に楽しみ、一緒に悲しんでくれる友だちである。その存在は、ユミコの心に安心を生んだ。

 そうして見ると、大人が「居場所」として用意している所は、本当に子どもにとって居場所となりえているのであろうか。

子どもの立場に立つ不登校支援⑦

居場所であって居場所でない

不登校を始めると、様々な所に居場所を求める子どもたちがいる。
居場所を見つけた子どもは、傷ついた心を癒し、エネルギーを貯めて、自らの道を歩み始める。
しかし、一方で、教室以外の所を居場所としても、元気が持てない子どもたちもいる。
そこには、どんな違いがあるのだろうか。

 中学2年生のエリ(仮名)にいじめがあったのかどうかははっきりしない。さみだれ登校をした後に、全く学校に行く事ができなくなった。しばらく自宅にいたが、母親が「保健室に行ってみる?」と尋ねたところ、エリは黙っていた。「黙っていてはわからんよ。どうしたい?」と重ねて尋ねると「わからない」と答えた。母親に連れられ、エリは何日か保健室登校をしたが、続けることができなくなった。やがて、身体症状が出始め、今では自宅を居場所としている。
 エリは保健室に行こうとしたが、それはエリが必要としたのではない。どこにも行こうとしないエリを見て、親が不安となり、親自身が安心するためにエリを保健室に行かせようとしたのである。エリの「わからない」という言葉を「嫌とは言っていない」ととらえるか、「行きたい、行ってみたいとは言っていない」ととらえるかは大きなちがいがある。そこにエリが行かされている(強制)のか、エリが選んでいる(尊重)のかのちがいが…。子どもの意志が伴った時に、その空間が子どもの居場所となりえると言えよう。

 また、中学3年のユカ(仮名)は、不登校となってすぐに教育支援センター(適応指導教室)に通い始めた。しかし、10分ほど居ては車でそのまま帰宅する。母親の話では、「教育支援センターに行くと出席日数としてカウントされる」からである。受験を控えたユカは、表情から辛そうに見えたが、母親に連れられて、教育支援センターに毎日通った。
 ユカは、高校受験のために(出席日数を増やすために)教育支援センターに通った。ユカ自身が自分のために選んだように見えるが、そうではない事はユカの表情が示している。母親が説得をしたというよりも、「中学校を不登校で過ごすと、高校にも行けない。高校にもいけないと、社会に出る事ができない。」といった社会的な圧力が、受験生に対して教育支援センターに行く事を強制したのである。居場所とは「将来のために必要だから、苦しいけど行く所」ではなく、「今を輝くために必要な(行きたい)所」でなくてはならない。